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2008.02.25 Monday  | - | - | - | 

ポリティカル・コレクトネスと言葉狩り

 先日、私は3歳の長女が使っているクレヨンを見て「なにぃ!」と思ったことがある。それは「肌色」のクレヨンの包み紙に「ペールオレンジ」と書いてあったことだ。つまり「うすだいだい」。「何がペールオレンジだ」と。これは結局「肌の色は一色ではない。肌の白い人もいれば黒い人もいるのだから、人種差別につながる。」という観点からの配慮であろう。かなり古い記事になるが、哲学博士の中島義道氏によると、1990年11月30日付けの朝日新聞の投書に以下のようなものがあったという。

 「アメリカに住んで三年半になります。住み始めてすぐのころ、日本から持ってきたクレヨンの中に『肌色』という色を見つけ、これはおかしいと思いました。日本では何の疑問も持たなかったことです。・・・・・・最近、日本人の人種差別問題がまた一段と攻撃の的になっているようです。・・・・・・・日本人は今、もう少し、他人への気遣い、心配りを考えなければならないと思います。せめてクレヨンの肌色の呼び名は廃止し、子供たちに世界中にはいろいろな肌の色の人が住んでいること、そして、その人たちには何の優劣もないことを教えてあげたいものです」(ニュージャージ州、主婦37歳)

 アメリカの基準を全ての基準と考える典型的な人間である。日本人の感覚としての肌の色は紛れもなく「肌色」であるわけで、それを外国に行ったときに「肌色」という言葉を使ってはいけない、というのではなく、「肌色」という日本語自体を廃止しろと言うのだ。しかし、そんな必要がどこにあるのだろうか。こうした「ことば狩り」が「人種や男女差別の撤廃」という美名の下に行われていることは日本人としての価値観をあいまいにし、国家というものを軽視する現代の風潮に一役買っているのだと思う。中島氏は言う。これが正しいとすれば、「黒山の人だかり」という表現はやはり日本人のほとんどの髪の毛が黒いことから生まれた言葉であろうが、そういった言葉も廃止すべきだということになる、と。あるいは「赤ちゃん」というのはどう考えても黒人の子には適さないだろうと。
 西村幸祐氏は著書「反日の構造」の中で、日本の文化が内側から破壊されつつあり、その端的な例が「言葉狩り」であると言っている。「旦那」という言葉が「主人」という日本語を破壊し、ジェンダーフリーというこれまた美名をまとった凶器は「看護婦」という言葉をも抹殺しようとしているのだと。
 こういった問題は、本をただせばアメリカで70年代に始まったポリティカリー・コレクト(政治的に正しい)運動に端を発している。女性・人種差別を助長する差別的表現の撤廃を求めるこの運動は、70年代後半に大学キャンパスを中心に始まり、80年、90年代に全米に広がったそうだ。分かりやすい例を挙げると、「ミス・ミセス」を廃止して「ミズ」を使おう、「ニグロ・ブラック」はやめて「アフリカ系アメリカ人」と呼ぼう、というようなものである。そのくらいならまだしも、その後ポリティカリーコレクト運動はあらぬ方面にまで及ぶようになる。実にありとあらゆる分野にまで広がっていったのだ。矢部武氏の著書「アメリカ病」にはほとんど冗談としか言いようのない例が山ほど挙げられているので紹介したい。以下の表現が何を意味するかおわかりだろうか。

 経済的にはじき出された人
 垂直方向に恵まれた人
 異なった能力を持つ人
 更生施設の元利用者
 頭髪的に不利な人

 笑ってしまうのだが、正解は上から「貧乏人、痩せている人、知的障害者、前科者、はげた人」である。
 政治的に正しい言葉とは一体何なのだろうか。これらの言葉を使用することによって果たして差別撤廃は実現するのか甚だ疑問である。結局言葉の意味が行き着く先である人の心には同意のものとして届くはずなのだ。

「反日」の構造―中国、韓国、北朝鮮を煽っているのは誰か
「反日」の構造―中国、韓国、北朝鮮を煽っているのは誰か
西村 幸祐

アメリカ病
アメリカ病
矢部 武
2006.12.12 Tuesday 00:48 | comments(4) | trackbacks(2) | 憂國・教育 | 

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2008.02.25 Monday 00:48 | - | - | - | 
チョンガー公爵 (2006/12/13 5:18 PM)
いつも楽しく拝見しています。

最近は妙な言葉狩りが多いですね。
塩爺が騒音おばさんのことを「キチガイ」といったら福留アナが塩爺をたしなめていました。
といってもキチガイはキチガイですよね。北朝鮮の核武装など「キチガイに刃物」の典型ですよ。

与太話をしてしまいましたが、今後もご活躍下さい!
カルマ (2006/12/13 10:27 PM)
 チョンガー公爵さま。コメントありがとうございます!まさに「キチガイ」という言葉がぴったりだと思いますね(笑)。今後もよろしくお願いいたします。
ヌマ (2011/05/14 9:32 AM)
2007年には生き物の和名にも言葉狩りが出てしまいましたよね。バカジャコ→リュウキュウキビナゴ、イザリウオ→カエルアンコウ、オシザメ→チヒロザメ、メクラウナギ→ホソヌタウナギなど、言葉狩りちょっとやり過ぎですよね。
カナ (2011/08/26 7:06 PM)

ちょっと聞いてよ押
こないだのオッサン、マジ半端ないんだけど。ヮラ
http://0rsezhe.x.ex-summer.net/0rsezhe/









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管理者の承認待ちトラックバックです。
| - | 2007/12/03 5:39 PM |
川端康成「伊豆の踊子」、筒井康隆「時をかける少女」から「ポリティカルコレクトネス」を考える。
今週は筒井康隆『時をかける少女』、川端康成『伊豆の踊子』を読みました。 どちらも意味合いは違えど超有名な作品。 どちらもたくさんのレビュー・書評があります。 しかし、ここではそこから「差別」について考えたいと思います。 『伊豆の踊子』は現代人が読む
| ブログ | ひまそうじん。 | 2011/08/12 2:42 AM |