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2008.02.25 Monday  | - | - | - | 

生徒を連れて大学訪問。がしかし・・・

 今日生徒を引き連れて、某大学の学校見学会に行って来た。本校1学年の生徒ほぼ全員が出席。午前10時から大学教員による模擬授業体験を70分間の短縮バージョンで。その後クラスごとに現役大学生との座談会。そして最後に大学ダンスサークルによる歓迎パフォーマンス…。この企画は全て大学側の職員によるもので、要するに「ぜひうちに来て下さい。」というものだ。模擬授業では、私は経済学部の教室での監督となった。座談会に出席する大学生は、模擬授業の時からプリントの配布などを手伝うためにすでに教室にいた。全部で5人、全て男子だったのだが、まず見てビックリである。学生達の外見のことだ。茶髪率100パーセント。うちロン毛2名。一部始終帽子を着用していた者1名。腰パン率100パーセント。どいつもド派手な格好だ。私は授業開始直前、教室の入り口付近に立っていたのだが、彼らが教室に入ってきたので、ナメとるのかこいつらは、と思いながらも「こんにちは。」と挨拶をした。彼らは一瞬目をこちらに向けたが、言葉は発さず素通りだった。挨拶もできないのか。思い思いの格好をして好き勝手生活している大学生がいることくらい百も承知だが、自分の学校の見学会で、高校生を前にして話をする立場の者が全く場をわきまえずに振舞う姿には憤りを感じずにはいられない。あるいは、ファッションに敏感な高校生の前に立つということで、余計にめかし込んでいるのだろうか。そもそも大学側はなぜこんなやつらを使ったのか。私のいた経済学部だけではない。全部で6学部の模擬授業があったのだが、どの教室にいたものもろくでもない格好だった。法学部所属の学生もいたようだ。「コイツが将来人を裁くのか・・・」。担当の大学職員は特に悪びれる様子もなく、「すみません、こんな子達で」という感じもない。終始笑顔で、むしろ自信に満ち、はつらつとしていたような印象を受ける。
 模擬授業の担当は比較的若い経済学専門の教員だった。内容は高校一年生を対象としたものとは思えないほど難しく、当然生徒達はわけが分からず、開始後20分程度にしていやな空気が流れ始めた。そして50分も経つと、どうんと海の底まで沈んだような空気に耐えられなくなったのか、講義は予定より20分も早く終了した。何たる杜撰さであろうか。後で聞けば、「高校3年生だと思っていた」のだそうだ。一体どんな打ち合わせをしているのか。本当に学校を売り込む気があるのだろうか。
 そして座談会。悪い予感は見事に的中。陽気で極めて軽いノリのトークが始まった。ロン毛茶髪腰パンは、開口一番こんなことを言ったのだ。
 「みんな、今日は大学生活のことなんでも聞いて。とりあえずウチら学校生活めちゃめちゃ楽しんでんだけど、まず高校と違うところはなんつっても自由なところ。みんな今は頭髪とか服装とかうるさく言われてるだろうけど、そんなの一切ないからね。茶髪にしようが腰パンしようが、短いスカートはこうが、ピアスしようが何にも言われないから。ほんっとに自由。別に学校サボってもかまわないし、遅刻しても誰も何にも言わないから。サークル入れば出会いもあって楽しいし、ほんと、ぜひうちの学校に来てよ。」
 その後彼は、高校生から「彼女いますか?」とのありがちな質問を受け、自分の薄っぺらい恋愛論を曝け出し、その他どうでもいい質問に答えて座談会は終了した。
 そして、極めつけにダンスサークルのパフォーマンス。ひと口にダンスと言っても様々であるが、ここでは当然の如く、いわゆる今時の高校生の興味の対象であるダンスである。そのスタイル、しゃべり方、身のこなし方は教室にいた学生達に輪をかけたものであったことは言わずもがなである。パフォーマンスは30分程度で終了。そして見学会は幕を閉じた。一体なんだったんだ。こんなもの生徒達にとって百害あって一利もない。肝心な模擬授業はいい加減。今時の高校生を振り向かせるために都合のよい「うちの大学に入ればこんなに楽しいことができるんだよ」というアピールのためのダンスパフォーマンス。実にいやらしい戦略である。本末転倒とはこのことだ。ダンスを見ているとき、大学の教員や職員達は終始笑顔であった。この見学会を「良しとしている」のだ。高校の教員達は呆れていた。私の頭の中では「世も末」という言葉がぐるぐると回るばかりだった。
 そう言えば、我が校に訪ねて来る卒業生も大半は茶髪だ。中には「その格好で母校に顔を出すなよ」と言いたくなる学生も少なくない。結局どんなに高校のときに厳しく指導しても、その3年間だけなのだ。高校生は高校生らしく。しかし卒業してしまえばみな大変身を遂げる。一体今までの指導はなんだったのか。「高校生は高校生らしく」の前に、「日本人は日本人らしく」ということが今の社会には既になくなっているのだ。大体「らしさ」というものが今やタブーであるのだからどうしようもない。本来なら「日本人らしさ」があって「日本の高校生らしさ」があるべきなのに。
 腹の立つことに、今のいわゆる日本の若者の格好や考え方に違和感を抱かない大人はたくさんいる。つまり本をただせば、そういう若者はそういう大人に教育されてきたということだ。一方、日本の若者の現状を憂う人も多数いる。しかし、一体どちらがどれほどいるのだろうか。今日の見学会を違和感を抱くことなく終えることができる日本人はどのくらいだろう。茶髪を「表現の自由・自己決定」として「良い傾向」とする輩だっているわけだ。また逆に、この見学会に憤りを禁じえない、という日本人はどのくらいいるのか。そしてとても気になるのが、我が生徒の中で「今日の見学会は実りのあるものだった。あの大学生たちのようになりたい。」と思っている子はどのくらいで、「こんな見学会来なきゃよかった。あんなふうで良いわけがない。」と思っているのはどのくらいなのか。何人かに聞いたところ「つまらなかった」という生徒もいたのは救いだった。
 帰りに新宿の紀伊国屋に立ち寄ろうと東口を出ると、相変わらずの「世も末」な若者たちの人波。この国は何処に向かって進んでいるのだろう。行きかう人ごみの中に、旭日旗を掲げた一台の街宣車が止まっていた。「がんばれ日本!立ち上がれ日本人!」の横断幕。一水会の方がマイクを握っていた。
2006.10.14 Saturday 23:24 | comments(7) | trackbacks(0) | 憂國・教育 | 

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2008.02.25 Monday 23:24 | - | - | - | 
iwata (2006/10/15 12:55 PM)
義憤が切々と伝わって参りました。

本当にカルマ先生の仰るとおりで、高校の指導もあくまで高校三年間だけに終わってしまいますね。そしてその指導すらしていない教員が多すぎる・・・。

私が高校生のとき、学校では茶髪は禁止でした。理由は校則にあるからでした。これは本当に馬鹿げた理由です。それゆえに教師は、「高校を卒業すれば染めたっていいんだから、高校生のうちは止めなさい」と指導をしていました。なんという愚昧さ。

もしも本来的に茶髪が是認されるなら、時代錯誤名校則を改正して容認すべきでしょう。しかし、髪を染めるという行為には、校則などという矮小な次元をはるかに超えた日本人、ひいては黄色人種の劣等感が存在しており、この劣等感そのものが断固として排除されねばならないのです。髪を安易に染めないということは、ささやかな愛国心の発露です。そうであるならば、この茶髪禁止の論拠は校則ではなく、倫理・道徳の問題だといえるでしょう。飲酒喫煙は、単に法的に年齢制限があるだけですが、倫理、道徳には年齢制限はありません。

私は、日米安保堅持の立場から、無粋な輩からは「親米」なるレッテルを貼られますが、文化、歴史観、そして道徳においては日本主義です(今度は愚者から「国粋主義者」のレッテルでしょうか)。

また、先生がご覧になったのが大学の現状です。学生は学問を放棄し、遊惰。学者はそれに媚び諂うことなかれ主義者か、日本解体を目論む極左です。大学に入ると「日本危うし」との思いを切実に感じます。
カルマ (2006/10/16 1:43 AM)
 コメントありがとうございました。茶髪を阻止しなくてはならない理由はまさに「劣等感(ガイジン・コンプレックス)の排除」にあると思います。今や大人の社会でも茶髪は当たり前のようになってきていますよね。
 しかし、中には岩田さんのような「日本を立て直そう」という志を持つ、勤勉な大学生や院生がいるのも事実ですし、とても嬉しく思います。教員も一生勉強ですね。
にっぽんちゃちゃちゃ (2006/10/26 8:18 AM)
<いまだに消えぬわだかまり・・・>
私の世代は中学生になると頭髪を切らされて丸坊主にならなければなりませんでした。
私を含め男子生徒は小学校卒業時に何故丸坊主にならなければならないのか疑問に思っていました。
中学入学時まで5分刈りに髪の毛を切らなければなりませんでした。
先生達に何故丸坊主にすべきか質したところ「丸坊主は中学生らしいし、健康的で日本人らしく良いものだ」と述べられました。
しかし、私達は何が日本的なのか分かりませんでした。そこで先生に言ったのです「一万円札の聖徳太子(当時)は長髪ですよ、丸坊主とどちらが日本的なのですか?」。先生は「・・・。そんなことより勉強せい!」と言うばかり。
数年前40数年ぶりで小学校の同窓会がありました。私達の中で1人だけ別の中学校に進学したものがいました。成績も良く某国立大学付属中学を受験して入学したやつです。
彼は初めて故郷を遠く離れた中学へ行った理由を語りました。
「本当はみんなと一緒に地元の中学に行きたかったんだ。だけど、どうしても坊主になるのがいやで、髪を切りたくない一心で付属中学を受験したんだ。だから、故郷を離れるときはとてもつらかった・・・。もし、校則で丸坊主にならなくても良かったなら、みんなと一緒に地元の中学に進学したよ。」
皆やっぱりそうだったんだ、俺もあの校則がいやだったんだよと口々に言っていました。
私も自分の髪の毛が切られたときのことは良く覚えています。とても嫌でした。そして、何が本当のことなのか疑問を持ったまま今日まで生きてきました、右翼も左翼も適当なことを言っていますが、本質的なことは何も言いません。
カルマさん日本的な髪型とは何ですか?
何故丸坊主は日本的なのですか?
カルマさんの髪型は"ちょんまげ"ですか?
飛鳥時代の髪型は何なのですか?
髪の毛で髷を結わないのは左翼的だと思いませんか?
日本的な髪型とは何ですか????
カルマ (2006/10/26 1:48 PM)
 私の中学校も男子は全員丸坊主でした。当時、私もその校則に納得がいきませんでした。校長室に理由をたずねに乗り込んだほどです。理由は「周りの中学校もみんなそうだから。」という笑止千万なものでした。では、なぜ周りの学校も含めてそのような校則を作ったのか。それはまったく教師側の都合で、結局のところ生徒を指導しやすいからです。様々な髪型にしたい年頃の生徒たちの煩わしい頭髪指導を簡単にするために「坊主以外不可」と校則で決めてしまって、あとは「校則なんだから守りなさい」ということだったのだと思います。
 私は当然「ちょんまげ」を結っていませんし、「ふんどし」ではなくパンツをはいています。もちろん普段は和服ではなく洋服を着ていますし、職場ではスーツを着ています。それが日本人、30代、一般的社会人の当たり前な格好だからです。それを、「日本の伝統を重んじるというならちょんまげに袴すがたで生活しろ。当然下着はふんどしだろ。」などという人とは決して考えが重なることはないでしょう。話し合うだけ無駄です。自国の文化や伝統を重んじるということは、排他的な姿勢で国粋主義を貫くことではありません。
 有史以来日本人は外国のいいところをうまく取り入れてきた珍しい民族です。言うなれば、そのような姿勢も「日本的」であるかもしれません。
 ですから、時代によってうつり行くことは当然あります。今の時代に、飛鳥時代に当たり前であった頭髪をすることがおかしなことだということくらい、誰にでもわかります。大切な伝統を重んじつつも、他の良いところは尊重して、「必要があれば」取り入れるということで日本民族は進歩を続けてきたのではないですか。
 そもそも、全てにおいて理由を説明してもらわないと納得いかない、というのは子供じみた考えですし、おかしな話です。なぜなら理由のないことなど山ほどあるからです。「なぜ男子は髪の毛を短くし、女子は長くするのか」「なぜ、男子はスカートをはかないのか。他の国でははいていますよ」などと大人がいうのであれば、愚問の極みであり、ばかばかしくて付き合ってられません。それは、「そういうものだから」としか言いようがないからです。慣習は慣習が故に尊いのです。
 日本人は黒髪であること、学生は質実剛健であること。これらも現代日本人の「おやくそく」であったはずです。私は生徒の奇抜な頭髪を「個性」などといってよしとする教員は大きらいです。
 私は丸坊主とは言わずとも、教育の場で頭髪のルールを作るのは絶対に必要と考えます。「学生は学生らしい頭髪」をするべきだからです。生徒は「学生らしいって一体何だよ!」と反発することでしょう。私も当時はそう思いました。でも説明のしようがありませんし、子供が納得がいかず反発するのはごく自然なことです。大人になってわかってくれればいいのです。ところが今の大人は「子供の言うとおりだ。自分も当時いやな思いをしたし、そもそも理由のないことで、子供の人権を踏みにじるような規則は廃止すべきだ!」などとバカなことを言うわけです。困ったことにそんな人には「理解力のある大人」という称号が与えられます。卒業式を「生徒が主役だから」という理由で「個性的な」生徒独自のくだけたものにしたり、フロア式にしたりする昨今の学校も同じです。
 何でもかんでも子供の納得のいく学校社会を作ることがどれだけ子供たちの精神的成長を妨げていることか。何でも思い通りになる社会の中で、人間は成長などしません。もっと言うと、ある共同体においてなんらかの不条理というのはあってしかるべきなのです。少しでも不満があるとぶーぶー文句をたれる、我慢することを知らない子供がそのまま成長して、「頼んだ覚えはない」と給食費を払わないようなろくでもない大人になるのです。
にっぽんちゃちゃちゃ (2006/10/26 10:29 PM)
カルマさん長々とありがとうございます。
ただ、私の思いにもう少し真剣に本気で答えていただきたかったです。
「全てにおいて理由を説明してもらわないと納得いかない、というのは子供じみた考えですし、おかしな話です。なぜなら理由のないことなど山ほどあるからです。」
このようなことを言っていると商取引において信用を失ってしまいます。
私は全責任をもって会社を動かしています。説明の出来ないことがあれば倒産の危機に瀕することもあります。その場合顧客及び取引先や社員およびその家族に多大な損失を与えます。また、社会的な信用は完全に失墜してしまいます。
もし、会社のシステムに不条理があれば間違いなく社員は動かなくなりますし、大切な顧客に甚大な損害を与えます。
責任を持って事にあたる人は、そのような言葉は吐きません。
決して私は物分りの良い大人ではありません。
素朴な疑問にどれだけカルマさんが答えてくれるか期待したのですが残念です。
私が嫌いな左翼系日教組と同じ口調の答えになってくるのが面白いです。
やはり職は人を造るとはよく言ったもので、同じような考え方になるんだなと思いました。
カルマ (2006/10/26 11:17 PM)
 ですから、いくら話しても平行線だと言ったのです。
にっぽんちゃちゃちゃ (2006/10/27 12:05 AM)
私が左翼及び右翼のリーダー達や心酔者にあきらめの気持ちを抱いたのは、他者を一切認めないところです。
必ず最後はいくら話しても無駄だと述べて相手を無視してしまうことです。
とても悲しいです。
相手への思いやりはありません。
とても寂しいことです。
カルマさん教育の現場は大変でしょうけれど、自分の信念を貫いてがんばってください。