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2008.02.25 Monday  | - | - | - | 

クールビズについて思うこと

 高校生の身だしなみ、服装の乱れを正すことは生徒指導上の大きな留意点である。ネクタイをだらしなくぶら下げている男子生徒の指導に手を焼いているのはどの高校の先生も同じであろう。いや、すでに「ばかばかしいイタチごっこ」とさじを投げてしまっている学校も少なくないかもしれない。ピアスや女子生徒の化粧の指導で手一杯だという学校もあろう。みんなと同じ格好をすることで安心感を得ようとする高校生を、頭ごなしに叱ってもどうにかなるようなものではない。効果的な指導するのは実に困難なことである。

 我々日本人は、欧米人に比べて仕事や学習の場において、きちっと正装をして臨むという社会規範を強く持っている。それは学生の制服、サラリーマンのネクタイにスーツという格好を見てもわかるだろう。私は大学院生時代に2年間の米国留学を経て帰国したとき、「日本人は誰も彼もネクタイを締めて、なんて窮屈な生活をしているんだろう。」と思ったものだ。

 しかし、普段の生活はさておいて、なぜ仕事中や学習中にきちっとした服装が求められるのか。ネクタイをしっかりと締め、きちっとした格好をすることで気持ちに張りが出て、背筋がぴんとなる。「さあ、仕事に取りかかろう。」「よし、勉強するぞ。」という凛とした姿勢が出来上がる。その姿勢は集中力を生み、今、自分はこの仕事を成し遂げなければならない、というある種の責任感をも生み出すのではないか。

 一方、ネクタイをゆるめれば気もゆるむ。仕事帰りの居酒屋で首元を広げて一杯やることに違和感を覚える人はいないだろう。高校生にしても、退屈な授業中に机に突っ伏して居眠りをする時に、首元をぎゅっと絞めつけていては寝心地が悪いというものだ(多くの生徒の場合、ネクタイがゆるんでいるのは居眠り中だけのことではないが)。つまり、ネクタイを締める、ゆるめる、という行為は気持ちを締める、ゆるめるということに大きくかかわっていると言えよう。

 ところが、近頃、若者を指導する立場の大人たちが自らネクタイを捨て始めた。すなわち「クールビズ」なるものの流行である。今さら説明するまでもないが、地球温暖化防止策として昨夏スタートしたキャンペーンで、ネクタイをせずに、胸元の風通しをよくして、エアコンのエネルギー使用を最小限にしようという試みだ。私はこのクールビズに何か釈然としないものを感じていた。とは言え、地球温暖化が深刻な問題であることは明らかであり、公然と反論しがたい世の中の風潮というものもある。さらに、もしそのクールビズが功を奏しており、微力であれ地球温暖化に歯止めをかけているのであれば、そのメリットを認めざるを得ない。しかし、あえて反論するならば、ネクタイをはずすことが社会に「気のゆるみ」を生じさせはしないか、ということである。あるいは、無責任な言動が横行する日本社会の様々な業界において、人々の無責任さに拍車をかけたりはしないかということを私は危惧するのだ。病院関係の医療ミス、政治家や教職員の不祥事、若きIT革命児の大失態など、日本人の無責任さを露呈する出来事は増加の一途をたどっている。いくら切腹しても足りないくらいだ。

 かつて日露戦争で日本海海戦に勝利し、国民的英雄となった東郷平八郎は、古人の言を借りて「勝て兜の緒を締めよ」と言った。勝利を得ておごる態度を戒めた言葉である。また、慣用句にあるように、覚悟を決めて物事に当たることを「ふんどしを締めてかかる」と言うし、今一度気持ちを入れ直して仕事にかかることを「ふんどしを締めなおす」と言う。兜もかぶらなければ、ふんどしも締めない現代人にとってそれらに代わるものは何か。それはネクタイであろう。ネクタイを捨てた日本人は、謙虚さをなくして横柄な態度をとるようになりはしないか。いざという時に覚悟を決めて責任を果たすことができるか。反省を活かし、凛とした姿勢をもって再度物事に取り組むことができるか。長い間、暑い夏もがまんしつつネクタイをしめて働いてきた日本人にとって、その慣習を簡単に捨ててしまうことは、実は何か大事な歯車を狂わせる危険な大転換であるように思えてならないのである。

 現時点では、「だらしがない」という正当な反対意見もあり、クールビズがそれほど国民の間に広く定着しているとは言えないかもしれない。しかし、夏が来るたびにクールビズ人口が増加し、学校教育においても「ネクタイをきちっと締めなさい」といった指導がなくなっていく可能性も十分に考えられる。弛みきったこの国は、文字通り国民全体が「ふんどしを締めなおし」てかからなければならない時期にあるというのに、その逆を行くような国民運動が起こることは私にとって実に理解に苦しむところである。
2006.10.01 Sunday 10:28 | comments(1) | trackbacks(1) | 憂國・教育 | 

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2008.02.25 Monday 10:28 | - | - | - | 
(2008/01/30 11:27 PM)
そもそもネクタイが古来の正装ではありません(笑)
夏の気温があまり上がらない国で発達した文化を輸入、咀嚼せずにそのまま伝えたひずみとは考えられませんか?
また、その「ずれた文化の正装と規律」を維持するために、無駄な体力と燃料を消費することに愚かさを感じませんか?

日本の風土に合った、夏の正装を模索することこと、日本のこれからの道であるとは思いませんか?









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