<< November 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
SEARCH

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

2008.02.25 Monday  | - | - | - | 

驚異の古武術的身体操作

 古武術研究家の甲野善紀先生は60歳近くにして驚異の術の数々を体得されている真の武術家であります。先生の技を見ていると、あるいは体感すると、武術は体の大きさや筋肉の量ではないのだということを再確認します。

 甲野先生は数年前に「ナンバ走り」をスポーツに取り入れたら現代スポーツのレベルは格段に向上する、ということを日本のスポーツ界に訴えはじめました。いわば、古武術の動きを見直そうというちょっとした古武術ブームの先駆けになった方です。あの陸上の200メートル日本人初のメダリスト末続慎吾選手に「ナンバ走り」をアレンジした走法を伝授した人物でもあります。甲野先生の著書はかなり読んでいましたが、やはり実際この目で確かめてみないことにはなんともなあ、ということで2年ほど前、半信半疑で講習会にも参加させてもらいました。その後もう一度講習会に出かけましたが、その内容は驚きの一言です。小柄で細身、一見何処にでもいるただのおじさんなのですが、100キロ級のレスリング選手を軽々と持ち上げてしまったり、重量級の総合格闘技選手をふっ飛ばしてしまったりと、一体どうやって・・・ということばかり。その場に集ったアスリートたちは真剣なまなざしで先生の一挙手一投足を凝視しては首を傾げる、ということの繰り返しなのです。

 甲野先生の身体操作はそもそもスポーツのそれとは全く違うものです。先生の動きはいわばサムライのものです。一昔前のサムライの体の使い方は、現代人である私たちが誰から教わるでもなく身につけたスポーツ的な身体操作とは一線を画すものだということです。その最たるものは「うねったり、ねじったりしない身体操作」であります。普通スポーツでは、体をうねったりねじったりして「タメ」を作りますし、またいかにスムーズに筋肉を連動させてうねって「タメ」を作るか、ということが競技者のレベルにつながります。しかし、古武術の身体操作にはうねる、ねじるという作業はないのです。そして武術の動きはうねってから「よいしょ」と動くスポーツのものとは比べ物にならないくらい速いのです。「初動が見えない」というのが的確な表現だと思います。つまり最初の「よいしょ」がなく、一瞬にして「パッ」と一挙動で動けるわけです。普通のアスリートがいきなり真似事をやると、全然力が入りません。タメが作れないからです。古武術の身体操作ではいわば普通の状態で常にタメが掛かっています。そこからいきなりドーン!と爆発的な力が出る。古武術の技術のレベルの高さには本当に驚かされます。

 現代の武道を考えてみると、例えば剣道では、後ろ足のバネを使って思いきり地面を蹴って「よいしょ」と前へ出ます。ところが古武術ではそういった「バネ」(要するにタメ)を使いません。かの宮本武蔵は「五輪書」の中で、「足の踏み様は、つま先を少し浮かせて、踵を強く踏むべし」と書いています。これは現代スポーツの世界ではありえないことです。現代スポーツでは全く正反対のことをやっているのです。つまり、スポーツ、あるいは現代の武道でもほとんどがそうなってしまっていますが、「俊敏に動くために踵を浮かせて、つま先で地面を蹴って体を前に送り出す」のが普通でしょう。踵は常に浮かすように、と教える場合が多いはずです。しかしそれでは、「よいしょ」の初動が相手に読まれてしまいます。「パッ」と瞬時に動くためにはむしろ踵を浮かさない。これが古武術の教えであります。今の剣道界は宮本武蔵を師と仰いでいる割には、正反対のことをやっていて、それはもはや武術ではなくスポーツでしかないのです。

 空手はどうでしょう。やはり、フルコンの空手ではボクシングのように体をねじって突きや蹴りを出す選手がほとんどだと思います。ねじってパワーを出すというのは結局筋肉の動きでしかないので、筋肉があればあるほどパワーがある、という魅力のない世界になってしまいます。現在行なわれている様々な格闘技イベントで、格闘技の本来の醍醐味である「小よく大を制す」というのがあまり見られないのはそのせいでしょう。甲野先生の100キロ級の選手を吹っ飛ばすような技術を持ち合わせた選手を見たことはありません。というのも、筋肉をつけてパワーやスピードを得るやり方のほうが手っ取り早い、ということがあります。それに、小柄なおじさんが筋骨隆々の大男を一ひねりで倒してしまう、などということがにわかに信じ難い。もはや古武術は伝説でしかなくなっているのも事実でしょう。ウェイトトレーニングをガンガンやっている選手にとっては、古武術の稽古では、こんなことやっていて本当に強くなるんだろうか、なったとしてもその時一体何歳になっているんだろう・・・という不安な気持ちもあるはずです。そういったわけでなかなか古武術の復活というのは難しいのかもしれません。

 私はフルコンタクト空手をやっていますが、甲野先生に一度面と向かって寸止めで突いてもらったことがありますが、あの時の感覚は忘れられません。本当に文字通り、気付いたら先生の拳が目の前にあるのです。「よけてみてください」と言われてこちらもその気になってスタンバイしているのに、動こうと思った時にはもう目の前に拳がある。「これが武術なんだ・・・」と再確認した瞬間でした。あんな突きを出せる人を今まで見たことがありませんでした。

 甲野先生は抜刀術にも長けておられ、これもまた気付いたら刀が鞘から抜かれている、というすごいものでした。「サムライってこんな感じだったんだろうなあ」と感動したものです。

 私自身、古武術の身体操作の虜になって3年位の超ひよっこですが、あきらかに以前とは比べ物にならないほどのパワーとスピードが身に付きました。同じ道場の練習生たちもその違いを認めています。そして、ねじったりうねったりしている相手の初動も以前より見極めやすくなりました。格闘技をやっている方、一生鍛錬を積んでいく覚悟であるなら、だまされたと思って一度古武術の稽古法に身を委ねてみることをお勧めします。信じがたい方は一度いわゆる武術の達人のような人の講習会などに参加してみるときっと未知の世界に出会えることと思います。甲野先生の突きを体験してみては如何でしょうか。

古の武術を知れば動きが変わるカラダが変わる―NHK人間講座『古の武術に学ぶ』の甲野善紀・34の技をDVD120分収録!
古の武術を知れば動きが変わるカラダが変わる―NHK人間講座『古の武術に学ぶ』の甲野善紀・34の技をDVD120分収録!

古武術で蘇えるカラダ―写真と図解実践!今すぐできる
古武術で蘇えるカラダ―写真と図解実践!今すぐできる
甲野 善紀

「武」
「武」
甲野 善紀, 井上 雄彦




2006.09.30 Saturday 11:21 | comments(0) | trackbacks(0) | 武道・武道教育 | 

極真会の道場訓に見られる日本精神

多くの武道の道場には道場訓というものがあります。それは武道が技術面のみならず精神面の成長も重視しているからです。大概どの道場でも稽古の終わりに一列に並んで正座をして、黙想をして心を落ち着かせた後に全員で道場訓を唱えます。昭和の武人、大山倍達師が創設した世界最大の武道団体である国際空手道連盟極真会館の道場訓は、全国各地で毎日唱えられています。その内容が素晴らしいものなので紹介します。

     道場訓

一. 吾々は心身を錬磨し確固不抜の心技を極めること
一. 吾々は武の神髄を極め機に発し感に敏なること
一. 吾々は質実剛健を以て克己の精神を涵養すること
一. 吾々は礼節を重んじ長上を敬し粗暴の振舞いを慎むこと
一. 吾々は神仏を尊び謙譲の美徳を忘れざること
一. 吾々は智性と体力とを向上させ事に臨んで過たざること
一. 吾々は生涯の修行を空手の道に通じ極真の道を全うすること

3番目から6番目などは、武道を志す人でなくともぜひとも心掛けたいものだと思います。極真会では、直接打撃制というルールの中で痛みや苦しさに耐えて自己を鍛え、自分の痛みを通じて人の痛みを知るということを重視しています。そして稽古の最後にこの道場訓を唱和するのです。

 また、故大山倍達総裁は、「極真の精神は即ち日本の精神である」と言われ、次のことばを極真の精神としました。

「頭は低く、目は高く、口慎んで心広く、孝を原点として、他を益する」

 横柄な態度をとってはいけない。頭は低く常に謙虚であれ。しかし目はいつでも高いところを見よ。大口を叩くな。いちいち文句を言わず、広い心を持て。すべての原点は親孝行にあり。一番身近な親に対して感謝の気持ちを持って孝行せよ。そして、ついには社会に貢献し、郷土のため、国のために尽くせよ。

 大山総裁は生前、世界中に極真空手を広め、日本の精神を説いてまわりました。今でも昇級審査や昇段審査の際に、道場訓と極真の精神は筆記試験として出題されます。

 教育勅語も、修身の授業もない今、我々日本人にとって辛うじて武道に残る日本の精神こそ失くしてはならない、そして若者に教育していかなくてはならないものだと思うのです。
黙想と正座で心を落ち着かせる
2006.09.30 Saturday 11:13 | comments(0) | trackbacks(0) | 武道・武道教育 | 

なぜキレるのか〜日本人本来の身体と武道〜

 昨今ニュースや新聞で、凶悪犯罪や猟奇的な殺人事件の類を見ない日はありません。とんでもない世の中になってしまったものです。日本人をかくもダメにしてしまったものは一体何なのか。「ついカッとなって殺してしまった」という犯行理由をよく耳にします。では、なぜかつて根性や我慢強さに定評のあったはずの日本人がかくの如き体たらくに陥っているのか(「根性」などという言葉はもはや死語でさえあります)。様々な要因が重なっていることはもちろんですが、そのひとつに、西洋の生活様式が我々の生活に入り込み、日本人に合っているとされる古来の生活様式が廃れてきていることを挙げる専門家がいます。その本来日本人の体には合わない生活様式が「ムカツク体」「キレる体」を作ってしまった原因のひとつであるということです。

 例えば、正座をしなくなったこと。今我々日本人の日常生活の中で正座をする機会はどれほどあるでしょう。私は空手をやっているので普通の人よりその機会は多いと思いますが、武術・武道や茶菓道などの伝統芸能をやっていない人にとっては滅多なことがない限り、椅子に座って過ごすことが普通でしょう。また、子供たちの教育からも、「足が短くなる」とか「足の形が悪くなる」という理由や、体罰のようなイメージからか正座はほとんど消えてしまいました。ところが、正座というのは日本人が昔から重視してきた「下ハラ」に力を落とす、ということにつながっているのです。「臍下丹田」とも呼ばれる下腹に体の力をスッと落とすようにすると日本人本来の美しい立ち方になります。下腹に力を落とし、背筋をスッと伸ばして、肩の力を抜いて、あごを軽く引く。そして座った状態でも下腹に力が落ちている状態を作るには正座が最適なのです。日本人は体の作りから言って、椅子に座ると腹に力が集まらなくなります。そして腰痛や肩こりなどの原因にもなります。

 日本人は腹に力を落とすと、心が落ち着くといわれます。そしてしっかりと腹式呼吸をするとどっしりと足が地に付いている感覚を覚えます。腹が据わっていないと胸で呼吸をすることになります。胸呼吸だと呼吸が浅くなり肩に力が入ります。肩に力が入るということは力んでいるということで、「落ち着いた体」の状態ではありません。また、浅い呼吸を繰り返していると、ストレスがたまり、息を体の中に入れたくなります。一気に呼吸を体の中に入れるためにどうするか。答えは「キレる」のです。大声を出してキレることでスッキリする。

 正座を生活習慣にしていた民族は世界で日本人だけではないでしょうか。日本人は腹に力を落として様々な能力を発揮してきたのです。「正座の習慣がなくなってしまったのは、日本人の身体にとって戦後最大の悲劇だ」と言う武術の研究家、河野智聖氏は正座の効用について次の事柄を挙げています。「呼吸器が強くなる。生殖器が衰えない。食べ過ぎない。意志が強くなる。ぼけない。」です。今の日本人の若者が地べたにへたり込んでしまう原因も正座によって作られる正しい姿勢が欠如しているからだと言います。

 武術・武道においては、腹に力を集めることを最重要視します。日本古来の体の使い方を学ぶわけですから当然と言えば当然です。逆に言うと腹を意識することを教えない武道はニセモノであるといってよいでしょう。どんな武術でも、腹に力を落とし、力まずに肩の力を抜いて、脇を閉め、あごを引くというのは基本であります。そして腹で呼吸をし、何事にも動じない落ち着いた心を作っていきます。つまり、カッとなったり、キレたりすることとは無縁の人格を養うことができるのです。ここに武術・武道の素晴らしさがあります。武術の達人にはオーラがあり、身体はスッと天に伸びているような立ち方で、それでいて地に根が生えているようなどっしり感があります。

 武術・武道は凶悪犯罪などとは無縁の世界です。多くの若者が真剣に何らかの武道をやり始めたら、日本の気品を取り戻すことへの一助になるかもしれません。

2006.09.30 Saturday 11:08 | comments(0) | trackbacks(0) | 武道・武道教育 | 

武道教育の復活を願う

 私は幼少の頃から剣道を嗜み、学生時代には極真空手の門を叩き、現在も稽古を続けています。私は日本の武道精神を愛しています。「勝って驕らず、負けて腐らず」。そして相手を尊重し合いながら切磋琢磨する。最近は、残念なことに武道の試合で日本人の勝者がガッツポーズをするのをよく目にするようになりました。オリンピックにおける柔道の選手などには特に顕著に見受けられます。武道において負けは死を意味します。本来相手を尊重する武道の試合の場で、死んだ相手を傍にガッツポーズとは武道を志すものにとって紛れもないマナー違反なのです。柔道はオリンピックという国際的スポーツの祭典に出るようになってしまったがために、最近では勝利のガッツポーズをとる選手も出てきました。柔道という素晴らしい武道を世に広めることができた反面、残念な部分であります。

 その点剣道は、世界中に広まり国際大会も開催されてはいるものの、オリンピック競技ではないためか、まだ古き良き伝統の礼儀作法が受け継がれています。「試合で一本とった後ガッツポーズをすると取り消しになる」というルールもその一つです。剣道においては、勝敗もさることながら、礼儀作法を重んじ、相手のことを配慮する心構えが要求されるのです。我々日本人は今後も断固として剣道のオリンピック競技化に反対すべきだと思っています。

 勝っても負けても顔色を変えない。そういう伝統は剣道をはじめ相撲や弓道にもいまだに残っています。極真空手でも、相手を倒して一本を取ると「残心」を示し、お互いに礼をして試合が終わります。ルール的に格闘技的要素の極めて多い極真空手においても、勝った喜びを顔に出す選手は明らかに他の競技に比べて少ないと言えます。

 戦前の我が国では武道教育が盛んに行われ、このような礼儀作法が徹底していたようです。では、戦後なぜ武道はその崇高な精神を失ってしまったのか。事の発端はやはりGHQ政策なのでした。戦後、日本の文化・伝統の全てを奪ったGHQ政策は、日本人の誇りである武道も例外なく我々から剥奪しました。占領軍当局の武道の制限を見ると、ヽ惺擦任良霪散愡漾↓⊆匆饌琉蕕砲ける武道実施の制限、B臚本武徳会の解散、とあります。大日本武徳会とは、日清戦争により尚武の気運が高まった時期、1895年(明治28年)に京都に設立された武道修行の総本山である一大民間団体でした。

 1952年、サンフランシスコ条約が発効され、GHQの占領が終わり、敗戦から6年8ヶ月ぶりに剣道の主権が回復されました。その後全日本剣道連盟が作られるなど、日本武道は徐々に復活を遂げます。しかし、やはり戦後民主主義のぬるま湯に浸かって生活してきた人々とって戦前ほど武道は魅力的なものではなかったでしょうし、他のスポーツの普及も相まって、スポーツと武道の境目が曖昧になり、堅苦しい武道の伝統は鳴りを潜めてしまいました。

 我々日本人は武道というかけがえのない財産を正しい形で復活させ、後世に伝えていかなくてはなりません。武道精神の中には人として大切なことがたくさん詰まっています。今日の日本人が忘れてしまった生き方の手本の数々が示されています。礼節を重んじること、自分に厳しく他人に優しくすること、目上の人を敬うこと、質実剛健であること、謙虚であること、社会に貢献すること・・・。また、武道と禅には密接な関係があります。私は「日本再生のカギは武道教育にあり」と声を大にして言いたいのです。

2006.09.30 Saturday 01:44 | comments(0) | trackbacks(0) | 武道・武道教育 | 
 | 1 / 1 PAGES |